2023/1/17

睡眠研究でブレークスルー賞をとった「大発見」

NewsPicks 記者
睡眠研究の世界的権威が、日本にいる。
柳沢正史氏。
学生時代に血管収縮に関わる重要な物質を見つけて脚光を浴び、米テキサス大学にスカウトされて渡米すると、1998年には覚醒を維持する物質「オレキシン」を発見した。
これをきっかけに睡眠の謎に挑み始め、2012年からは世界で唯一の睡眠に特化した研究機関、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)で初代機構長を務める。
昨年9月、Googleの創業者らが創設した世界最大の科学賞、「ブレークスルー賞」(生命科学部門)に選ばれた。
突然、強烈な眠気に襲われて眠り込んでしまう病気「ナルコレプシー」の原因を解明し、この病気や不眠症の治療薬の開発につながった功績が評価された。
この部門では日本人で4人目。過去にはノーベル賞を受けた山中伸弥氏や大隅良典氏なども受賞している。
NewsPicks編集部は、睡眠研究のトップを走り続ける柳沢氏への単独インタビューを敢行。オレキシン発見の舞台裏や、「眠気の正体」に迫る最新研究について、余すことなく語ってもらった。
INDEX
  • 睡眠研究なぜ脚光?
  • 「無意味な自慢」から始まった
  • 「明暗」分けた夜中の観察
  • 美しい物語の裏にあった「駆け引き」
  • 仮説を立てない研究

睡眠研究なぜ脚光?

──私たちは人生の実に3分の1を睡眠に費やしています。それなのに、いまだに睡眠の仕組みは謎に包まれている。いったい、なぜでしょうか。
柳沢 睡眠は、研究すること自体が難しい現象なんです。
理由はいくつかありますが、まず、基本的には生きた動物でしか観察や実験ができない。
培養した細胞一つ一つを睡眠状態にできればよいのですが、どういう状態が睡眠、あるいは覚醒なのか、細胞レベルで定義できるものはまだ見つかっていないのです。
細胞実験ができないというのは一つの足かせですね。
次に、少なくとも哺乳類を観察するかぎり、睡眠状態を調べるには脳波を測る必要がありますが、動物の脳波を測るのは大変です。
(撮影:佐々木龍)
さらに、睡眠状態をつくるのも難しい。眠っている動物を起こすことはできるのですが、起きている動物に外から刺激を与えて、ポンッと眠らせることはできません。
ただ近年、「光遺伝学(オプトジェネティクス)」と呼ばれる手法が発明されたおかげで、脳の特定の神経細胞を外から刺激して活動させることができるようになってきました。
睡眠研究で今一番進んでいるのは、こうした手法を使った睡眠・覚醒を切り替える神経回路の分野です。
──昨年(2022年)、「オレキシン」の発見と「ナルコレプシー」の病態解明などの業績で、ブレークスルー賞に選ばれました。睡眠研究への関心が高まっている証しではないでしょうか。
そうですね。2022年に米国神経学会が久しぶりに現地で開かれたのですが、睡眠がテーマの演題の数が3年前の数倍になっていたそうです。
会期中、毎日どこかの会場で睡眠の研究成果について話をしていたということで、明らかに流行りではあります。
最近、欧州の研究機関が睡眠不足によるGDP当たりの経済損失を試算しました。日本は先進5カ国で最悪。経済活動への悪影響も指摘され始めたという背景もあるでしょう。
──改めて、オレキシンの発見に至るまでのストーリーを教えてください。
僕はもともと、睡眠の研究者ではありませんでした。
筑波大学の大学院生だったときに、血管の収縮作用がある「エンドセリン」という分子を発見して、血管生物学の界隈でちょっと有名になったんです。
それがきっかけで米テキサス大学にリクルートされて、いきなり自分のラボ(研究室)を持つことができました。
5〜6年くらいは、エンドセリンの研究を続けていました。一方、エンドセリンの発見によって、肺の血管がどんどん閉じていってしまう「肺高血圧症」という怖い病気の特効薬も開発されました。
それはそれでよかったんだけど、僕自身は実のところ、臨床とか創薬研究にはあまり興味がわかなかった。「僕の仕事じゃないよな」という感覚がずっとあって、何か新しいことを始めようと思ったんです。
(撮影:佐々木龍)

「無意味な自慢」から始まった

当時、僕がいたテキサス大学のハワード・ヒューズ医学研究所のフロアは、すごかった。
僕のラボの両隣にあったのは、免疫学者のブルース・ボイトラーと、生化学者のトーマス・スードフのラボ。2人とも後にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
ボイトラーが米スクリプス研究所に移ったあとにラボを構えたのが、デビッド・マンゲルスドルフ。今はヒューズの薬理学のトップをやっている人物です。
マンゲルスドルフは、「オーファン受容体」と呼ばれるタンパク質を研究していました。
僕と同年代だったこともあって、夜な夜な自慢をしにやってくるんです。「オーファン受容体はすげぇ面白いんだ!」って。もう、耳にタコです。
アメリカはそういう雰囲気がいいんですよね。(日本に比べると)研究者がみんな暇で、無駄話ばっかりしている。
でもあまりにしつこいので、ある時、頭にきて言い返してやったんです。
「お前の研究している核内受容体は40個しかないだろ。俺がやってるGタンパク質共役型受容体は400個もある。そのほとんどがオーファンだ。一桁違うぞ」と。
意味のない自慢です(笑)。でも、マンゲルスドルフは感心していましたよ。
実は、それが最初のきっかけなんです。
つまり、まだ見つかっていない、オーファン受容体にくっつくリガンド(鍵物質)を探してみようと思い立った。
その結果、見つけたのが、後にオレキシンと名付ける分子でした。
僕の大学院の後輩で、当時日本からポスドクで来ていた櫻井武さん(現・IIIS副機構長)が精製に成功しました。
最初はその分子が何をしているのかわからなかった。
ただ、それをつくる神経細胞(ニューロン)が、「視床下部外側野」だけにあることはわかっていた。当時、「食欲に関係している」と言われていた領域です。
オレキシンを白く染めたラットの脳。白い粒々が見えるのが、オレキシンをつくる神経細胞のある領域(視床下部外側野)(写真:柳沢氏提供)
そこで、ラットの脳にオレキシンを注入してみると、確かに食べる量が増えたんです。
「へー、面白いな」と思って、今度はラットに餌を与えないでおくと、脳の中でこの分子の量が増えました。
これらの結果から、お腹が空くとオレキシンがつくられて、摂食が誘導されるというストーリーが成り立つ。
そこでこの分子を、ギリシャ語で食欲を表す「オレキシス」にちなんでオレキシンと名付け、米科学誌「Cell(セル)」に論文を出しました。1998年のことです。

「明暗」分けた夜中の観察

──オレキシンについての最初の論文は、睡眠とは関係なかったんですね。
はい。論文のタイトルにもはっきり「Regulate Feeding Behavior(摂食行動の制御)」と書いてあります。
研究の次の段階として、遺伝子操作でオレキシンがつくれないマウスを誕生させ、観察しました。
食欲を刺激するオレキシンがなければ、食べる量が減ったり、やせたりするんじゃないかと考えたわけです。
ところが、意外なことに何も起きない。基本的に健康だし、食べる量も減らないし、やせてもいない。
僕は「なんじゃこりゃ」と頭を抱えてしまいました。
でも、マウスって夜行性の動物なんです。当時はマウスの行動実験をするにしても、人間の都合に合わせてみんな昼間にやっていた。
ふと思い立って、赤外線カメラを買ってきて夜中に観察してみた。それが決定的でした。
動き回っていたマウスが突然行動を止める、あるいは横倒しに倒れてしまう。何らかの発作が起きていることに気づいたんです。
今度は脳波をとりながら観察してみると、この発作のときにレム睡眠に入っていることがわかりました。
まさに「ナルコレプシー」の症状だったわけです。
当時の睡眠学は、完全に古典的な生理学・薬理学の世界で、遺伝子レベルの話は全く話題になっていませんでした。
もしオレキシンが睡眠に関わるのだとしたら、極めて重要な発見です。
そこで、マウスでオレキシンの遺伝子を壊すとナルコレプシーが起こるとする論文を、1999年にCellで発表しました。
実は、我々の論文とほぼ同時に、オレキシンとナルコレプシーの関係を示唆するもう一つの論文が発表されています。
それを書いたのが、僕と一緒にブレークスルー賞に選ばれた米スタンフォード大学のエマニュエル・ミニョー博士のチームでした。
エマニュエル・ミニョー博士(写真:スタンフォード大学の研究室HPより)
彼らは遺伝性のナルコレプシーの犬を育てていて、原因となる遺伝子変異を突き止めた。それがオレキシンの受容体遺伝子の異常だったのです。
我々は遺伝子を最初に見つけて、その欠損が病気の原因になることを発見した。彼らは病気の原因を探して遺伝子にたどり着いた。しかも、それぞれ違う動物種を使って。
非常にビューティフルなストーリーです。

美しい物語の裏にあった「駆け引き」

──別々の研究室で、ほぼ同時に同じ発見をしたというのは、すごい偶然ですね。
これには裏話があります。
僕らのつくったマウスがナルコレプシーだとわかった頃、ちょうど米国睡眠学会が開かれました。
そこにはエマニュエルも参加していた。僕らは彼が犬のナルコレプシーを研究していて、その原因遺伝子を探していることは当然、論文を読んで知っていました。
そこで、この学会に参加するというテキサス大学のある睡眠学者に、「エマニュエルの研究がどんな感じか見てきてくれないか」と頼んだのですが、これがミステイクでした。
その睡眠学者が、悪気はなかったのですが、僕らのナルコレプシー・マウスのことをエマニュエルに教えてしまったんです。
察しのいいエマニュエルは、その日のうちにラボに電話をかけて、「他の候補は全部やめて、とにかくオレキシン受容体の遺伝子だけシーケンスしろ」と指示を出したらしい。
シーケンス:シーケンサーと呼ばれる装置を使って遺伝子(DNA)の塩基配列を特定すること
遺伝子のシーケンスなんて3日で終わる。完了すれば論文が書けてしまう。
一方、エマニュエルの動きを知るよしもなかった僕らは、一生懸命データをそろえていました。僕らはマウスの病気を見つけたばかりで、まだまだやらなければならない実験がたくさんあったのです。
そんなある日、Cellのある有名な編集者から電話がかかってきました。
そこからはもう、スクランブルでした。ありったけのデータを全部集めて、1、2週間で投稿しました。だからほぼ同時だったんです。
でも、エマニュエルが本当に研究者として素晴らしかったのはそこからでした。
彼はもともと精神科医で、臨床の睡眠学者でもあったので、ナルコレプシーの患者さんの脳脊髄液のサンプルを集めていました。
エマニュエルは、この脳脊髄液中のオレキシンの量を測定したんです。
その結果、人のナルコレプシーの患者さんでもオレキシンがなくなっていることを発見し、2000年に発表しました。人でもマウスや犬と同じメカニズムでナルコレプシーが起きていたことを示す、決定的な成果でした。
ナルコレプシーの治療薬は現在、武田薬品などで開発が進んでいます。オレキシンの代わりになるような物質をつくることができれば、根本治療薬ができる。
実は僕らも、オレキシンに似た化合物を設計してナルコレプシー・マウスに投与し、発作を抑える効果があることを2015年に発表しています。
一方、オレキシンの作用を抑える不眠症治療薬はすでに実用化されており、エーザイと米メルクから処方薬として出ています。
(撮影:佐々木龍)
──オレキシンの発見は、その後、睡眠のメカニズムの解明にどのような影響を与えましたか。
この20年の間に、睡眠・覚醒をつかさどるスイッチとして働く神経回路の大まかなところは明らかになってきました。
睡眠を促進する神経細胞群と覚醒を促進する神経細胞群が、お互いに抑制し合う神経回路をつくっていて、シーソーのように必ずどちらかに切り替わる。
オレキシンは覚醒をつかさどるスイッチの一部なんです。
ししおどしに例えると、竹の筒にちょろちょろと溜まっていく水が「眠気のもと」。溜まっていく間は覚醒状態で、筒が傾いて水が流れ出した状態が睡眠です。水が流れきると、筒が元に戻って覚醒するわけです。
わかりやすい説明ですが、水に当たる「眠気のもと」が何なのかは誰も知らない。「長く起きているとどうして眠くなるのか」という根元的な問題は、まだ解かれていません。
オレキシンはあくまで、筒の外で、重しとなって覚醒を安定化させるスイッチです。オレキシンを追究していっても、「眠気のもと」の正体や、それが一杯になったことをスイッチに伝えるメカニズムにはたどり着けないでしょう。

仮説を立てない研究

──手ごわいですね。何か打つ手はないんでしょうか。
睡眠の謎はあまりにも大きいため、仮説を立てることすら困難です。
そこで、あえて具体的な仮説を立てないフォワードジェネティクス(順遺伝学)という新たな手法を取り入れました。
これは、最初から特定の遺伝子を調べるのではなくて、生物のある特徴や症状から出発して原因となる遺伝子変異を見つけるというやり方です。
具体的に何をしたかというと、ランダムな遺伝子変異を持ったマウスを約8000匹用意し、脳波と筋電図を測ってそれぞれの睡眠状態を調べました。
IIISにあるマウスの観察設備。個々のケージ(左側)に入っているマウスの脳波をリアルタイムで調べられる
すると、普通のマウスよりもたくさん寝ているにもかかわらず、まだ眠りたがる「過眠症」のようなマウスがみつかりました。このマウスの遺伝子を調べると、「SIK3」という酵素の遺伝子に変異があった。
ではこの「変異型SIK3」は、脳内でどんな作用を起こしているのか。
僕らは脳の様々な部分で、変異型SIK3が働くようなマウスをつくって観察しました。
脳の大脳皮質で変異型SIK3が働くと、睡眠時間は変わらずに睡眠の深さが向上しました。また、視床下部で変異型SIK3が働くと、深さは変わらないが睡眠時間は増えることがわかったのです。
このことから、この酵素が、脳の大脳皮質では睡眠の質(深さ)を、視床下部では睡眠の量を制御するメカニズムを解明したのです。
この研究成果は2022年12月、英科学誌「ネイチャー」で発表しました。
睡眠の質と量が別々の場所でコントロールされていることを突き止めたのは世界初です。
──では、「眠気のもと」はSIK3なんでしょうか。
SIK3の上流には別の酵素があってSIK3を活性化します。また、SIK3の下流にも別の酵素が存在して、SIK3がその酵素の働きを制御して睡眠を促していることを僕らは確認しています。
つまり、「眠気のもと」は1つの分子や1つの物質ではなくて、このような情報伝達の経路そのものだと思っています。
今回発見したのは、その一部なのです。
──奥が深すぎます…。
頂上があることはわかっているし、大体の方角も見当がついている。でもその頂はまだ見えていない。
「なぜ睡眠が必要なのか」「どうやって睡眠が制御されるのか」という2つの大きな謎。
案外、この2つは表裏一体で、どちらかがわかれば両方わかってしまうかもしれません。
僕が現役の間に睡眠の謎を解くことができれば、かっこいいなと思っています。
(撮影:佐々木龍)
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